--.--.-- --
| スポンサー広告
|
Trackback(-) |
Comments(-)
柴田勝頼が総合デビューとなるHERO’S名古屋大会で山本宜久を秒殺で破り白星で総合デビュー戦を飾った。
試合詳細などはスポーツナビで
何度も書いていることだが、アタシは総合格闘技が好きではない。
総合の選手が強いとも思っていないし(弱いとも思っていないけど)、あの殺伐とした雰囲気が好きではないから。
ついでにいえば、プロレスは「リアリティー」で総合は「リアル」なんて言う人もいるけど、前段はその通りだが、後半は正しくないと思っている。
本当に何でもありなら「リアル」だろうが、ルールで規制している以上、それは真の「リアル」ではないのだ。
前置きが長くなった。
そんな好きではない総合、久々にリアルタイムで見ようと思わせたのは柴田勝頼の存在だった。
相手は元リングスの山本、そして秒殺。
過去、白星で発進したプロレスラーってほとんどいないのではないだろうか。
準備期間をたっぷり積んだとはいえ、柴田の闘いぶりはすでに総合の選手だった。
若かりし頃の船木と瓜ふたつだった。
そしてアタシの好きだった「元」プロレスラー柴田勝頼はいなくなった・・・。
これは先ほど書いた「リアリティー」論とは違う意味でなのだが、プロレスとは「リアル」と「リアリティー」の狭間の一瞬を切り抜いたものだと思っている。
「感情」のぶつかり合いという「リアル」
長い年月をかけて作られた「選手(もしくは団体・ジャンル)の歴史」という「リアル」、
その「リアル」から派生するキャラクターという「リアリティー」、
「興行」という「リアリティー」、
そんな色々な「リアル」と「リアリティー」が融合して記憶に残る名シーンが観客の脳裏に刻み込まれていく・・・・。
往年の猪木にはその両者を使いこなせるだけの大きさがあった。
しかし晩年の猪木は「リアリティー」のみに頼り、しかも底の浅いものであったために、全く説得力のない闘いになってしまった。
逆に馬場は、「リアリティー」の世界の住人と思われていたが、時折見せる「リアル」が彼の存在理由になっていた。
(もうひとつ言うと、自分の衰えた姿をさらけ出すという究極の「リアル」をも見せていたような気がする)
柴田とKENTA。
このプロレスラーとしての生まれも育ちも違う2人には、その「リアル」と「リアリティー」を使いこなせるだろう肉体と感情表現があった。
未来のプロレスの姿がおぼろげのように見えたような気がした。
しかし、その夢は中途で終わってしまった。
2人はそれぞれ納得した別れだったのかもしれない・・・、しかしそれは見るものに希望を与えながら置き去りにしたものだ。
どうせなら・・・見せてくれないでいた方が幸せだったかもしれない。
柴田は総合の道を歩め。
勝っても負けても、もうプロレスに足を踏み入れることなく。
できれば向こう側の世界で成功してほしいが、それはあたしの見たかった柴田ではない。
アタシは冷静にアナタの選んだ道を見ることにしよう・・・。
試合詳細などはスポーツナビで
何度も書いていることだが、アタシは総合格闘技が好きではない。
総合の選手が強いとも思っていないし(弱いとも思っていないけど)、あの殺伐とした雰囲気が好きではないから。
ついでにいえば、プロレスは「リアリティー」で総合は「リアル」なんて言う人もいるけど、前段はその通りだが、後半は正しくないと思っている。
本当に何でもありなら「リアル」だろうが、ルールで規制している以上、それは真の「リアル」ではないのだ。
前置きが長くなった。
そんな好きではない総合、久々にリアルタイムで見ようと思わせたのは柴田勝頼の存在だった。
相手は元リングスの山本、そして秒殺。
過去、白星で発進したプロレスラーってほとんどいないのではないだろうか。
準備期間をたっぷり積んだとはいえ、柴田の闘いぶりはすでに総合の選手だった。
若かりし頃の船木と瓜ふたつだった。
そしてアタシの好きだった「元」プロレスラー柴田勝頼はいなくなった・・・。
これは先ほど書いた「リアリティー」論とは違う意味でなのだが、プロレスとは「リアル」と「リアリティー」の狭間の一瞬を切り抜いたものだと思っている。
「感情」のぶつかり合いという「リアル」
長い年月をかけて作られた「選手(もしくは団体・ジャンル)の歴史」という「リアル」、
その「リアル」から派生するキャラクターという「リアリティー」、
「興行」という「リアリティー」、
そんな色々な「リアル」と「リアリティー」が融合して記憶に残る名シーンが観客の脳裏に刻み込まれていく・・・・。
往年の猪木にはその両者を使いこなせるだけの大きさがあった。
しかし晩年の猪木は「リアリティー」のみに頼り、しかも底の浅いものであったために、全く説得力のない闘いになってしまった。
逆に馬場は、「リアリティー」の世界の住人と思われていたが、時折見せる「リアル」が彼の存在理由になっていた。
(もうひとつ言うと、自分の衰えた姿をさらけ出すという究極の「リアル」をも見せていたような気がする)
柴田とKENTA。
このプロレスラーとしての生まれも育ちも違う2人には、その「リアル」と「リアリティー」を使いこなせるだろう肉体と感情表現があった。
未来のプロレスの姿がおぼろげのように見えたような気がした。
しかし、その夢は中途で終わってしまった。
2人はそれぞれ納得した別れだったのかもしれない・・・、しかしそれは見るものに希望を与えながら置き去りにしたものだ。
どうせなら・・・見せてくれないでいた方が幸せだったかもしれない。
柴田は総合の道を歩め。
勝っても負けても、もうプロレスに足を踏み入れることなく。
できれば向こう側の世界で成功してほしいが、それはあたしの見たかった柴田ではない。
アタシは冷静にアナタの選んだ道を見ることにしよう・・・。

